いいものをつくろう
「いつも応援している」
私が、まだ設計事務所に勤務していた頃、祖父がかけてくれた最後の言葉でした。
子供の頃は祖父について大工のまねごとや現場掃除をしました。大学は建築学科へ。絵を描くのが好きだったこともあり、次第に設計することに楽しさを見出します。大学院修了後、設計事務所に勤務し、一級建築士資格を取得。思えば祖父がいなければ、今もどこかの事務所に勤めていたことでしょう。
設計士と工務店の三代目という二つの視点から家づくりを提案する私どもの仕事は、こちらの考えを押し付けるのではなく、ご要望に耳を傾け、予算や敷地、施工条件を考慮し、最良の答えを導くアドバイスをすることです。関わる全ての人が、誇りに思える仕事をしたい、それが私の目標です。職人・従業員・私自身が自慢できる仕事。もちろん簡単なことではありませんが、それがお客さまの満足につながると信じています。
父は常々「幸と夢の空間創りの店-幸夢店(コウムテン)でありたい。」と言います。その言葉を現実のものとできるよう、もの造りに励みたいと思います。
代表取締役社長 大前裕樹
- 本物の探求
- 望まれるサービスの実現と、より高価値のサービスを研究・提供する
- 最良のパートナーシップ
- 仲間やクライアントの幸せな生活実現のための最善の助力・貢献をする
- 地域の「家守り」
- より良い地域社会の確立に貢献し、地域に根ざした循環型産業を目指す
- 謙虚な気持ち
- 誠心誠意、顧客満足の向上につとめる。素直に感謝し素直に自省する。
- 誇りを持てる仕事
- 法令厳守。目標の達成。整理・整頓・清掃・清潔・躾(5S)の徹底
- 協力・会話
- 仲間と協力する。報告・連絡・相談・打合せ(ほうれんそうだ)の徹底
- 気づき・考え・実行
- 向上心と研究心を持って人間性を高める努力を惜しまない
日々、木と暮らす
-心身共に健康で、安心豊かな建築を、共に考え、ご提供する-
当社の建築に関するおもいです。何度もお話をし、お客様の理想にできるだけ近づけるように努力しています。多くの方にとって建物を依頼されることは、一生に一度の大事業です。何度打ち合わせをしてもしすぎるということはありません。ライフスタイルは十人十色、じっくりとあなたの考えをお聞かせ下さい。
「家づくりは楽しい。」 新築住宅の打ち合わせをしていたときに、お客様から出た言葉です。
決して大きな会社ではありません。たとえ担当者じゃ無くても、ひとつひとつの仕事に、社員全員が意見し、共に考えます。建物の引き渡しを迎えるころには、ほとんど皆の顔を覚えてもらえるでしょう。
パッケージ商品のように型にはまった建物を建てる方が楽です。だけど「思い通りの空間ができた。」という一言が聞きたくて、我々は仕事をしています。
家守りとして
建物は完成したら終わりでしょうか。車だってメンテナンスフリーというわけにはいきません。
引渡しを終えてからが、建物との付き合いのスタートです。30年前に建てさせていただいたお客さまが、すでに退職した大工の名前を覚えておられ、当時のことを話してくださる。年末にごあいさつに伺うと、「いつもありがとう。」とみかんをいただく。
我々工務店の基本は地域密着だと改めて感じます。台風などの災害、修繕、永く使い続けるための補修、「地域の家守り」として、それらに対応するのが工務店の役割です。また、建築を進めるうえで、大切なことのひとつが、コミュニケーションだと思います。
お客さま、職人さん、大市住宅産業がチームとして建築に臨みます。工事前はもちろん、引渡しを迎えるまで打ち合わせを重ねさせていただきます。
謙虚な気持ちを忘れずに、至らない部分は反省しながら、より良い人間関係を築くことが、長いお付き合いの土台となると考えています。
住み続けられるまちづくりを
「丹波篠山」で末永く快適に生活してもらえるよう我々地域密着型の工務店が出来ることとして、
1.「全棟長期優良住宅」 新築住宅
当社が建築する新築住宅は全棟、良好な状態で住宅を長く使用することが出来る長期優良住宅の認定を受けた物件であることを目標とします。
2.「丹波篠山の家」の建築
市の事業「丹波篠山の家」の条件を満たす物件を増やすことで丹波篠山に調和した健康的な住宅を増やすことが出来ると考え、当社が市内で建築する新築住宅のうち「丹波篠山の家」の条件を全棟が満たすことを目標とします。
SDGsとは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略で貧困、不平等・格差、気候変動による影響等、世界のさまざまな問題を根本的に解決し、全ての人達にとってより良い世界を作るために設定された、世界共通の17の目標です。
【丹波篠山市】
●丹波篠山市環境みらいパートナー
https://www.city.tambasasayama.lg.jp/soshikikarasagasu/nomiyakokankyoka/envpolicy/mirai-partner.html
≪令和5年度の取り組みを表彰していただきました》
https://www.city.tambasasayama.lg.jp/soshikikarasagasu/nomiyakokankyoka/envpolicy/25159.html
【兵庫県】
●ひょうご産業SDGs推進宣言事業・認定事業
https://web.hyogo-iic.ne.jp/sdgs/
スタッフ紹介
●求人・採用情報
大市住宅では、スタッフを募集しています。私たちと一緒に、お客様の「理想の暮らし」をカタチにするお手伝いしませんか?
- 社名
- 株式会社 大市住宅産業 (ダイイチジュウタクサンギョウ)
- 所在地
-
【本社】 モデルハウス「日々木」 〒669-2203 兵庫県丹波篠山市吹新64-2
【工場】〒669-2133 兵庫県丹波篠山市今田町下小野原631-1 - TEL/FAX
- TEL:(フリーダイヤル)0120-692184 / 079-590-1233
FAX:079-590-1235 - 事業内容
- ・建築工事業/建設業許可番号:兵庫県知事(特3)第751810号
・住宅改修業/登録番号:兵住改K21第00016号
・一葉建築設計事務所/登録番号:(一級)第01A05482号 - 資本金
- 2,000万円
- 有資格者数
- 一級建築士:1名
二級建築士:1名
木造建築士:1名
2級建築施工管理技士:1名
建築大工技能士2級:1名
建設業経理事務士二級:1名
増改築相談員:1名
兵庫県簡易耐震診断員:2名 - 取引銀行
- 中兵庫信用金庫
JA丹波ささやま
三井住友銀行
(順不同) - 加盟団体
- 兵庫県建築士会 柏原支部/篠山市商工会/JBN</社団法人 建築士会連合会/ハトマークサイト兵庫/住倶楽部 〈篠山若手工務店の会〉/篠山毘人図鑑/住宅完成証機構 株式会社/ひょうご木の匠/住まいるダイヤル (増改築相談員)/住宅改修業者登録制度/緑の工務店/町の工務店ネット
- 店舗・公共建築
- 2004年 こんだ薬師温泉「ぬくもりの郷」
2005年 丹波焼陶の郷「窯元横丁」
2006年 JA味土里館
2007年 ささやまいなか家
2008年 浄土真宗本願寺派源正寺
2009年 篠山市東古佐公民館
2011年 たんば田園交響ホール(改修工事)
2016年 篠山市立味間認定こども園
- 1968年
- 市野建築の創業
市野孝治(1917~2001年)兵庫県川辺郡猪名川町生まれ
第二次世界大戦終了後、兵庫県多紀郡今田村(現丹波篠山市今田町)にて大工業を始め、市野建築を創業する。 - 1974年
- 建築業許可を取得
大前裕(1949年~)一時は酪農家を目指すが、結婚を機に一転、義父市野孝治に弟子入り。
ほどなく建築業許可を取得。 - 1976年
- 大市住宅産業に改称
大市住産二級建築士事務所 開設
代表者を大前裕とし、大市住宅産業に改称。
称号は大前と市野の頭文字。 - 1980年
- 株式会社大市住宅産業 設立
- 1993年
- 宅地建物取引業 兼業
- 2001年
- 大市住産一級建築士事務所 開設
- 2004年
- 市野孝治 死去
生涯大工として晩年まで仕事をしました。
明るく穏やかな性格で、惜しまれつつこの世を去りました。(享年84歳)
大前裕樹 入社 - 2005年
- 「日々木」篠山展示場 開設
- 2010年
- 天神オープンハウス 開設
大前裕樹 代表取締役社長に就任 - 2012年
- 篠山市若手工務店の会 「住倶楽部(スクラム)」結成
- 2014年
- 建築士事務所を分離・法人化、株式会社一葉建築設計事務所を設立
- 2015年
- 「ザ・ハウス」の優良工務店登録
- 2016年
- 里山住宅博inKOBEにモデルハウス「現代町家」を出展
「町の工務店ネット」に加盟 - 2017年
- 「無添加住宅」代理店登録
「新木造住宅技術研究協議会(新住協)」に加盟 - 2018年
- ひょうご木の匠 入会
- 2019年
- HOUSE for LOCAL 設立
- 2021年
- 「丹波篠山の家」モデルハウス開設(丹波篠山市所有、弊社で設計を担当)
- 2023年
- 「丹波篠山環境みらいパートナー事業者」に登録
大前裕樹の日々是建築
父と母方の祖父が工務店をはじめたのは私が物心つく前で、母が小さなプレハブ小屋で事務をしていたのを思い出します。事務所が大きくなった中高生の頃には、大工の祖父に連れられ、現場清掃や大工のまねごとをさせてもらいましたが、当時は工務店を継ごうという意思もなく、むしろ家業から逃げたいという思いが強く、違う道を模索した時期もありました。
1995・1・17、阪神・淡路大震災がおきます。解体工事のアルバイトで行った長田区への道中で、連なるトラックや、傾いた建物と土埃、避難所となった公園のともし火が胸に刻まれました。
震災の春、三重大学工学部建築学科へ入学。もともと絵を描くのが好きで、建築設計に楽しさを感じます。ガウディの有機的建築にあこがれ、谷口吉生さんの研ぎ澄まされた空間に感動し、すばらしい建築物に触れることに喜びをおぼえました。
今井正次先生のゼミで、子どもの居場所というテーマで卒業論文を、大学院まで進ませてもらい、修士論文は図書館をテーマに書き上げました。調査のため様々な施設を訪問し、一日中建築の使われ方を観察するという、貴重な経験ができました。
卒業設計は、丹波篠山の城下町に集合住宅を計画しました。城下の商店街を観察して、昔ながらの古い町家もあれば、建替えられた建物、通りに面した表だけを新しく装っている建物(いわゆる看板建築)などが混在していることが、むしろおもしろいなと思い、それをヒントに設計しました。昨今、篠山への観光客が増えていますが、その雑多な感じが、洗練された古い町並みとは違う魅力のひとつになっているのではと思います。
友人と共作した設計コンペで賞をいただいたり、津市の商店街でのワークショップが建築雑誌に取り上げられ感動しました。名古屋の設計事務所でアルバイトもさせてもらいました。数え上げるときりがありませんが、大学時代の経験が現在の基礎となっています。こう書くと、すごく優秀な学生のようですが、実際は友人宅で徹夜マージャンをして、授業中、居眠りすることもしばしばでした。
元来のんびり屋で、就職活動もままならず、大阪の設計事務所に拾ってもらいました。そこで所長先生に実務のイロハをたたきこまれ、至らない所員の私はすこぶるしごかれました。レストランやチャペルの内装、マンションの設計補助、リゾートホテルの基本設計に大型設計コンペなど、短期間に様々なプロジェクトに関わらせていただきました。
梅田への通勤電車の中で参考書を広げ、なんとか一級建築士資格も取得しましたが、徒弟制度に近い職場環境に耐えられなくなり、逃げるようにして大市住宅産業に入社することになります。
2004年に入社して早や20年が経ちました。
入社翌年、父の後押しで市内にモデルハウス「日々木」を開設し、2010年には国の補助金を活用して三田にも展示場をつくり、同年代表取締役に就任しました。
自分で選択したことではあるものの、当初は「田舎の工務店の社長なんてカッコ悪いな」、などと思うこともありました。気持ちが変わっていったのは仕事を通じて知り合えた皆さんとの出会いでした。
入社後すぐに声をかけてもらったのは丹波篠山市商工会青年部でした。45歳までの「青年」が、つまずき悩みながらも、地元で活き活きと仕事に励み、地域活性化のために様々な事業を企画・運営しています。入会当初は思ってもみなかったことですが、40歳で青年部の部長を務め、本当に良い経験をさせてもらいました。現在も商工会の要職に就いています。ロータリークラブにもお誘いいただき、奉仕活動を通じて、地元の諸先輩方に日々学ばせてもらっています。
商工会で知り合った同世代の工務店経営者と2012年丹波篠山市若手工務店の会「住倶楽部(スクラム)」を結成しました。以降、住倶楽部では神戸芸術工科大学と商工会との産学連携事業を6年間させてもらうことになります。
2021年にオープンした丹波篠山市所有のモデルハウス「丹波篠山の家」は、市の担当者と共に、住倶楽部のメンバーが企画から関わり、私が設計をさせてもらいました。篠山産業高校では「丹波篠山の家」を題材に、生徒による設計コンテストが毎年開催され、非常勤講師として設計指導をし、コンテストの審査員もしています。
また、2016年に神戸市北区で開催された「里山住宅博inKOBE」には、モデルハウス「現代町屋」を出展。兵庫県・大阪府の地域工務店20数社が一斉にモデルハウスをオープンし、ひとつの町をつくるという、当時全国的にもはじめてと言える取り組みでした。一般のお客さまだけではなく、全国から工務店や設計事務所など業界関係者も多数来場いただき、尊敬できるたくさんの工務店の方々と知り合うことができました。
2019年には住宅博出展工務店の有志6社で、HOUSE for LOCAL「風土と暮らす木の家」というグループを設立し、お付き合いを続けています。そのほか、住宅博がご縁で、色んな会に所属し、県内外に同業者の横のつながりを持つことができました。
全国のトップランナーと言われる工務店経営者のお話を聞かせてもらい、一方で、地元商工会などで地域貢献をするにつれ、「田舎の工務店て、いい仕事だな」と思えるようになりました。
地元のお店は、一種のインフラだと思います。交通機関、公共施設や病院が無いと不便で困るのと同様に、近くに美容院や飲食店や車屋さん等々が無いと豊かな暮らしが実現できないと思います。中でも工務店は、地域の活性化や、ソーシャルビジネス的な側面、まちづくり、環境保護の観点からも地域に必要だと考えています。
建物をつくる際、実際には工務店だけで仕事が完結するわけではなく、水道業者や電気業者、左官に塗装にと多種多様な専門職が現場に関わります。地域の工務店が地域の職人さんに仕事を発注することで、地域での雇用やお金の循環を生み、広い意味での地域活性につながります。
自然災害や異常気象から身を守り、劣化による修繕などに速やかに対処できる「かかりつけ」の工務店があることは、暮らしの安心につながります。
その地域の気候を知り、そのまちの景観に調和する建物をつくることは、まちの風景をつくることと同じです。東京や大阪でできる仕事はたくさんありますが、情報網が発達した現在において、その地域ならではの特殊な仕事のほうが、尊いようにも思います。
地域の工務店の多くは木造建築を手掛けています。木造建築は植林された里山から木材を切り出してつくられます。二酸化炭素を吸い込み、酸素を産み出し、炭素を固着した木材が伐採され、長年建築物として使われ、その間に育つ樹木が再び二酸化炭素を吸い込み光合成をしてくれます。伐採することで里山の整備が促され、災害に強い山になります。SDGsを引き合いに出すまでもなく、多くの工務店は、そうして間接的に環境を守ることに貢献しています。
大市住宅産業が、この地域に無くてはならない存在になりえているかは、わかりません。まだまだ至らないこと、すべきことがたくさんあるように思います。それでも、父と祖父が創業して約半世紀、途切れずにお客様から仕事をご依頼いただいているということは、「田舎の工務店の社長」として、同窓会であった旧友に胸をはって誇れることだと自負しています。
2024.2.1